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# CULTURE

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2026.Mar.01

ワタナベアツシの音がく探訪 003

ワタナベアツシの音がく探訪 003

音楽ってさ、音学でもあるよね。
音を楽しみ、音から学ぶ。
そんな僕らのミュージックデイズ。

Crazy から生まれた星(前編)

 おはようございます、ワタナベアツシです。

「ライバルは1964年」

 これは2016年にACジャパンのCMで謳われた印象的なフレーズだ。星野源のナレーションと提供曲「Hello Song」が流れる中、1964年頃と思われる景色と植木等の映像、写真が忙しく画面に連続投影されていく。1964年の東京オリンピックに負けない現在の日本を世界に示そうという意図で制作された、東京2020に向けたCMである。
 星野源が植木等、クレージーキャッツに大きな影響を受けていることは、よく知られている事実だ。彼のクレージーキャッツへの愛情表現は、病気療養後の2014年にリリースした復帰第1弾シングル「Crazy Crazy」に代表される。曲名は言うまでもなく、MVはまるごとクレージーキャッツへのオマージュになっている。当時のテレビを意識した白黒映像のバンド演奏、白スーツに黒タイというクレージーキャッツの代表的衣装、石橋エータローと桜井センリを意識したピアノ2人編成の連弾。どこを切り取っても、クレージーキャッツの世界観が色濃く反映されている。
 星野源はソロになる以前から、SAKEROCKというバンドで活動していた。SAKEROCKはロックやポップスに加え、ジャズやラテンまでを融合したインストゥルメンタルバンドだった。2006年の2ndアルバム『songs of instrumental』では、白スーツに黒タイというクレージーキャッツを思わせる衣装のジャケットを採用し、「スーダラ節」のカバーも収録するなど、この頃からその影響を強く打ち出していた。
 SAKEROCKのメンバーには、現在は俳優、ミュージシャンとして活躍する浜野謙太もいた。担当楽器はトロンボーン。その佇まいも含め、どこか谷啓を思わせる存在感があるのも興味深い。
 星野源は植木等からの影響について、テレビ番組のインタビューで次のように語ったことがある。彼は幼少期、非常に内向的な少年だった。そんな少年がクレージーキャッツの名曲「だまって俺について来い」を聴き、「そのうち何とかなるだろう」という、小さな悩みがどうでもよくなってしまうような陽気な歌に救われたという。植木等はテレビでは一瞬でお茶の間を明るくする存在だったが、普段は非常に物静かな人だったらしい。そうした一面もまた、星野源が自身を重ね、勇気を与えられた理由なのだろう。
 先ほど触れた「Crazy Crazy」の歌詞には、こんなフレーズがある。

「お早う始めよう」
「等しいものは遥か上さ」
「谷を渡れ」

 実はこの中には、「ハナ肇」「植木等」「谷啓」というクレージーキャッツのメンバーの名前が隠されている。クレージー愛に満ちた、実に憎い演出だ。しかし、これは単なる言葉遊びではない。星野源にとってクレージーキャッツは、過去の偉人ではなく、今も隣にいる存在なのだ。歌の中で名前を呼び、同じ白いスーツを着て、同じように人を喜ばせる。Crazyから生まれた星は、半世紀の時を越えて、今も確かにここにいる。それは懐かしさではなく、現在進行形の輝きだ。
後編では、クレージーキャッツそのものを辿りながら、この問いの続きを考えてみたい。

後編はこちらから

ワタナベアツシ

1975年生れ/山梨県甲府市出身。株式会社シグナイトCOO、甲府東高校軽音楽部出身。60〜80年代の音楽、文化、芸能をこよなく愛す昭和男。座右の銘は「どうせこの世はホンダラダホイホイ」。オリオンイーストにて学生向けフリースペース、SHIRO-no-IROを運営。

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COLUMN
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