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# CULTURE

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2026.Jan.01

ワタナベアツシの音がく探訪 002

ワタナベアツシの音がく探訪 002

音楽ってさ、音学でもあるよね。
音を楽しみ、音から学ぶ。
そんな僕らのミュージックデイズ。

「マカロニのえんぴつ」と「空いろのくれよん」

 おはようございます、ワタナベアツシです。
「摩天楼の衣擦れって何なんだろう」
これはマカロニえんぴつのメンバー、はっとりさんが、はっぴいえんどを語る際に口にした印象的な一言だ。はっぴいえんどの名曲「風をあつめて」の歌詞の一節で、「摩天楼の衣擦れが舗道をひたすのを見たんです」と続く。難解な歌詞だが、ビル群を行き交う都会的な情景が広がる、響きの良い言葉だ。
 「マカロニえんぴつ」という名前を初めて見た時、意味よりも先に音の響きに惹かれた。柔らかさと硬さという正反対の性質が同居する語感は、言葉の響きを主軸にしてきた半世紀前のはっぴいえんどの感覚と驚くほど近い。
 はっぴいえんどは大瀧詠一、鈴木茂、細野晴臣、松本隆の4人で結成され、1970年にデビューした。わずか3年の活動期間でオリジナルアルバム3枚とライブアルバム1枚を残した。バンド名には「Happy End」と「Happyとは言えんど」という、相反する意味が込められている。彼らの楽曲「空いろのくれよん」は、本コラムのタイトルにも拝借した。
 1960年代後半、欧米ではロックが隆盛を極めていたが、日本語で歌うと字数が多く、どうしても歌謡曲的になってしまう。英語なら「I love you」で済むところが、日本語では「愛している」と倍近い音数になる。この差は決定的だった。そのため、ロックは英語で歌うべきという風潮が支配的だった。
 そこに挑んだのが、はっぴいえんどである。彼らは日本語がロックに乗らないのではなく、乗せる方法が確立されていないだけだと考えた。母音の響き、アクセント、子音の配置を工夫し、そこに高度成長期、どこまでも空に伸びていく東京の風景を刻み込んだ。その影響は、今の私たちにも確かに受け継がれている。
 しかし、当時はっぴいえんどは売れなかった。再評価が進んだのは80年代後半以降。解散後、メンバーそれぞれの才能が一斉に花開き、「この4人が同じバンドにいた」という事実に、ようやく世間が気づいたのである。
 松本隆はバンド解散後、作詞家に転身し、「ルビーの指輪」、「赤いスイートピー」、「木綿のハンカチーフ」を始め、数え切れないヒット曲を世に送り出した。細野晴臣はYMOのリーダーとして世界的な成功を収めた。大瀧詠一の「A LONG VACATION」は日本ポップス史に残る名盤となり、CD化作品の第1号に選ばれている。また彼は山下達郎を見出したことでも知られている。鈴木茂もまた、その都会的で抜けの良いギターで数多くの名曲に名を刻んでいった。
 この4人は、日本語ロックの歴史を切り拓いただけでなく、日本のポップスそのものの礎を築いたと言っていい。
 細野晴臣にはこんなエピソードがある。祖父の細野正文は、明治時代の鉄道官僚で研究のためロシアに留学、1912年の帰国時にタイタニック号に乗船していた。日本人唯一の乗客であり、数少ない生存者の一人だったという。
 タイタニックの闇に飲み込まれたはずだった細野家の運命は、半世紀後の東京で、再び風をあつめ始める。
 「Happy Endとは言えない」物語から「はっぴいえんど」が生まれるなんて、歴史は時々そんな皮肉な奇跡を起こす。

ワタナベアツシ

1975年生れ/山梨県甲府市出身。株式会社シグナイトCOO、甲府東高校軽音楽部出身。60〜80年代の音楽、文化、芸能をこよなく愛す昭和男。座右の銘は「どうせこの世はホンダラダホイホイ」。オリオンイーストにて学生向けフリースペース、SHIRO-no-IROを運営。

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