音楽ってさ、音学でもあるよね。
音を楽しみ、音から学ぶ。
そんな僕らのミュージックデイズ。
グリーンアップル
おはようございます、ワタナベアツシです。「グリーンアップル」といえば何を思い浮かべる?街中でこんな質問をしたら、多くの日本人が真っ先に思い浮かべるのは“ミセス”だろう。しかし、私のように白髪混じりの元ロック少年の中には“ビートルズ”と答える者がいるかもしれない。1968年にビートルズが設立したレーベル「アップル・レコード」のロゴマーク、それが緑色のリンゴ、グラニースミスをモチーフにしたグリーンアップルだったからだ。
そして“ミセス”の中心人物、大森元貴さん自身も強くビートルズの影響を受けているのはよく知られている事実である。「グリーンアップル」という名前自体が、世代を超えてビートルズと繋がっていると思うと嬉しくなってしまうものだ。
さて、そのビートルズが日本で演奏したのは1966年6月30日〜1966年7月2日(3日間5公演)のたったの1回で、来年で60周年となる。場所は、今ではミュージシャンたちの夢と成功の象徴となった日本武道館。ちなみに日本武道館で音楽公演が開催されたのはこれが初めてだった。
このビートルズ公演には前座として日本のバンドやアーティストが出演していたことは有名な話である。しかしながら、前座について、いつ誰がどういう順番で出演したのか、その情報は60年経過した今でも曖昧で、ウィキペディアでさえ情報が濁されている。当時はビートルズに全視線が注がれていたので、きっと正確な情報が残らなかったのだろう。
この前座の1組としてドリフターズが出演していたことは良く知られており、YouTubeでも、ドタバタで慌ただしく演奏する様子が確認できる。しかしドリフターズがいつ何回出演したのかについても謎に包まれている。メンバーの仲本工事はテレビで「1回しか演奏していない」と発言したが、ビートルズのビデオの解説によるとドリフターズは6月30日と7月1日に演奏したと記されている。次に志村けん(当時はまだメンバーではなかった)は「自分が見に行った日はドリフは出演していなかった。マイクがまわって固定されないのが気になって仕方がなかった」と発言しているが、実はマイクが不安定だったのは6月30日のみでこれが理由でテレビ中継も中止された事実もある。このように当事者たちの発言さえも曖昧だ。
私はこの謎をどうしても明かしたくなり、様々な書物を読み漁り、国会図書館に通って昔の新聞を読み、考察を重ねた。しかし事実は意外なものから知ることができた。今では違法だが、当時海外では客席で無断で録音した音源がブートレグ(海賊版)として販売されており、ロックマニアから支持されていた。私もその一人だったが、なんと前座の音源まで収録していたブートレグがイギリスで販売されていたのだった。ひとつは「THE BEATLES JAPAN66」(master disc)で、もうひとつは「Welcome The Beatles」(Quarter Apple)。この音源ではMCまで収録されていたので、既知の情報と照らし合わせると、霧が晴れるように事実が浮かび上がった。ドリフターズが前座公演を行ったのは6月30日、7月1日の2日間、3公演のみ。しかも6月30日はトップバッターだったため、日本武道館で初めて音を鳴らしたのはドリフターズだったこともわかった。
ビートルズという大きな大きな歴史の裏側と、“大きな玉ねぎ”の下にはこんな小さな真実が眠っていたのだ。
ワタナベアツシ

1975年生れ/山梨県甲府市出身。株式会社シグナイトCOO、甲府東高校軽音楽部出身。60〜80年代の音楽、文化、芸能をこよなく愛す昭和男。座右の銘は「どうせこの世はホンダラダホイホイ」。オリオンイーストにて学生向けフリースペース、SHIRO-no-IROを運営。